52歳の現在進行系

健康的に

一昨年コロナに罹患してから、14kgも痩せたと書くと驚かれるかもしれないけれど、大丈夫。14kg落ちた今も、肥満の数値なので何にも心配無い(笑)
しかも落ちた体重の殆どは、脂肪じゃなくて筋肉なんだと簡単に推測できる程、手足がほっそりしてしまい、お腹周りだけはしっかり脂肪が付いている。

まず、重い荷物を持つことができなくなって来た。これに関しては、今の主人が私を甘やかしたせいだ。
彼に出会う前は、満タンに入った灯油タンクを2つを、車から降ろして家に運ぶくらい朝飯前だったのに、彼と出会ってからは、重いものはいつも持ってくれたおかげで、単身赴任になってしまった今では、1タンク持つを車から降ろすのも一苦労。駐車スペースから家の玄関前に持っていくだけで、体勢を整えるのに何回降ろしてんだ?ってくらい地面に置きながら運ぶ。見かねた娘が、ため息をついて運んでくれる。

次に、下半身の筋肉がごっそりと落ちていた。自分では気にしていなかったし、気付きもしなかったが、脱衣所で私の後ろ姿を見た娘の声に珍しく焦りが混じっているようだった。いつもは冷静沈着な物言いをする娘には珍しく「ママ、やべぇ…」っと。振り返ると、彼女の目が驚きで見開かれていた。
改めて自分の後ろ姿を見ると、臀の肉も太ももの肉も落ちて、張りの失くなった皮膚が弛んでいた。確かに若々しくない下半身を見ていると、「50代の後ろ姿じゃないよ…」いつもは毒舌女王の娘が言葉をなくす程だ。自分で思うよりも酷い状態なのだろう。

階段がキツくてデパートに行ってもエスカレーターやエレベーターばかりだし…移動は全て愛車でGOだし…寒さを理由に出かけることも少ない。上げればキリが無い程、体力の衰えは、私が思う以上に52歳の私の身に起きているのだ。

考えてみれば、そりゃそうだ。出かけない。動かない。衰えないようにトレーニングもしてるワケでもない。食べたくない物は食べない。食べたい物ばかりでお腹を満たし、眠くなれば寝る。そりゃそうだ。が満載の生活習慣だ。

ピンピンコロリで逝ってよね

「ママがボケても面倒みるけど、介助が大変だから体重を落としてよね。」
「これ以上筋力を落とさないでよね。」
「ピンピンコロリで逝ってよね。」
私以上に危機感を感じた娘が、事あるごとに言っていて、最早口癖のようになっている。

『ピンピンコロリ』なんて他人事のように言うけれど、正直、それができれば理想だと思っている。そうPPK(病気に苦しむことなく元気に長生きして、最後はコロリと逝こうという標語で、長野県体育学会で生まれた言葉らしい)は、父が長患いの末に逝ってしまい、その苦しみを間近で見ていた病院嫌いの私の理想の逝き方だ。子供達が小さい頃に話していたことを、彼女はずっと覚えているのだろう。
娘の発言に、PPKで逝くにはどうしたら良いのかを考えなければいけない齢になったことを感じ、亡き父の事を思い出した。

父は認知症になる前から、インスリンを投与する重度の2型糖尿病患者だった。食べるものにも困る時代を経験した父は、苦労の末に会社を立ち上げると、幼い頃の飢餓への恐怖心が強く影響したのか、その後の食への拘りは並外れたものだったように記憶している。大酒を飲み、食べたい物ばかりでお腹を満たした。認知が進行してからは、欲に関して肥大する一方だった。散歩など身体を動かすことを嫌い、食べるものに執着し、糖尿病を悪化させ合併症が進行し、長患いの末に逝ってしまったのだ。
まるで今の私だ。良い所は似てないのに、そんな所は似たくないけれど、丸っ切り親子だ。

このままでは、子供達に同じ想いをさせてしまうのかもしれない…。
階段を上るときの息切れや、あちこち痛む身体や、朝から不調を感じるようになってきて、その気持ちが強くなってきた。それなのに気持ちだけで、いつまでも行動に出られない自分が情けなくも思う自分への備忘録と戒めを込めてこの記事を書いた。これからは、食生活、運動、そして心の健康について少しずつ見直していきたい。

この記事を書いたヒト

愛知→宮城のゲマニア
コーヒー牛乳と無人販売巡りが大好き♪
気が付いたらもう半世紀生きたので、これからは好きなモノに囲まれて丁寧にゆっくり暮らしたい。と願って2年。なかなかゆっくり暮らせない...
2025年1月から留守家庭の妻やってます

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